27冊目『砂はマのつく途の果て!』
2008年3月25日 読書
『砂はマのつく途の果て!』喬林 知(角川ビーンズ文庫) ’07 12/2
評価;A
まるマはそれはそれはいつも楽しく読むんだけど、感想を書くのがすっごく日にちが経ってからなので内容の詳細がかなりアバウトなんですよねぇ・・・。
ゆーちゃんと魔族兄弟が合流してー・・・・・サラレギーの過去がちょっと明らかになった?
番外のアーダルベルト&ジュリア(+マキシーン)に心が癒された。
そう、この小説の何が良いって、魂が生まれ変わる時に前世と性別が変わっていることですよ。
諸宗教観念の中の輪廻転生に性別の縛りがあるのかどうかまったく知りませんが、動物に転生する場合がある以上男は男、女は女と言われても説得性を感じなかったりもする。ただ、輪廻転生を扱う作品にはやはり性別はそのまま生まれ変わる場合が多く、それは前世で恋人同士だった二人を現世でも恋愛関係に持って行こうとする話の構成上、世間一般の同性愛のタブーを犯さない配慮だとは思いますが、そのご都合主義に面白みを感じないことは少なからずあります。
現代女性作家のある輪廻転生を扱った作品では、キリスト教圏のヨーロッパが舞台(またはヨーロッパ出身)なのに輪廻転生を扱っている上、男性は必ず男性に、女性は必ず女性に生まれ変わる点が、「うーん、なんでだろう」と思いました(まぁ、これは同名であり、必ず出会い必ず別れるという結末がある以上仕方のないことかもしれないけれど)。しかし面白みの半減は私の中では否めません。
というわけで、まるマはその辺の葛藤やらなんやらを織り込み、上手く話を作っているので楽しいと思うのですよ。
ユーリに対するアーダルベルトの気持ちは絶対にジュリアと同じものじゃないし、恋人の生まれ変わりだからといって次の世でまた同じように好きになる必要はない。別に命の源である魂に惚れていたわけじゃあるまいし。ただ、核が元恋人のものと同じだから、たまに思い出したり、大切にしたりする。それで十分じゃないですか。何があったのかまだ描かれていないけれどもコンラッドも然り。
BLに走らずに、性別云々ではなく人間と人間の関わりを描いてる点にまるマの面白みがあるのだと思います。
・・・ということを18作目にして改めて書いてみちゃったりして。
次の本は『ジュリアス・シーザー』。もちろん(ぇ)『暁のローマ』の影響です。
評価;A
まるマはそれはそれはいつも楽しく読むんだけど、感想を書くのがすっごく日にちが経ってからなので内容の詳細がかなりアバウトなんですよねぇ・・・。
ゆーちゃんと魔族兄弟が合流してー・・・・・サラレギーの過去がちょっと明らかになった?
番外のアーダルベルト&ジュリア(+マキシーン)に心が癒された。
そう、この小説の何が良いって、魂が生まれ変わる時に前世と性別が変わっていることですよ。
諸宗教観念の中の輪廻転生に性別の縛りがあるのかどうかまったく知りませんが、動物に転生する場合がある以上男は男、女は女と言われても説得性を感じなかったりもする。ただ、輪廻転生を扱う作品にはやはり性別はそのまま生まれ変わる場合が多く、それは前世で恋人同士だった二人を現世でも恋愛関係に持って行こうとする話の構成上、世間一般の同性愛のタブーを犯さない配慮だとは思いますが、そのご都合主義に面白みを感じないことは少なからずあります。
現代女性作家のある輪廻転生を扱った作品では、キリスト教圏のヨーロッパが舞台(またはヨーロッパ出身)なのに輪廻転生を扱っている上、男性は必ず男性に、女性は必ず女性に生まれ変わる点が、「うーん、なんでだろう」と思いました(まぁ、これは同名であり、必ず出会い必ず別れるという結末がある以上仕方のないことかもしれないけれど)。しかし面白みの半減は私の中では否めません。
というわけで、まるマはその辺の葛藤やらなんやらを織り込み、上手く話を作っているので楽しいと思うのですよ。
ユーリに対するアーダルベルトの気持ちは絶対にジュリアと同じものじゃないし、恋人の生まれ変わりだからといって次の世でまた同じように好きになる必要はない。別に命の源である魂に惚れていたわけじゃあるまいし。ただ、核が元恋人のものと同じだから、たまに思い出したり、大切にしたりする。それで十分じゃないですか。何があったのかまだ描かれていないけれどもコンラッドも然り。
BLに走らずに、性別云々ではなく人間と人間の関わりを描いてる点にまるマの面白みがあるのだと思います。
・・・ということを18作目にして改めて書いてみちゃったりして。
次の本は『ジュリアス・シーザー』。もちろん(ぇ)『暁のローマ』の影響です。
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